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本郷青蛙
随筆集

新しい作品を先頭に配置してあります

 

 

038


農村と国際化   農協と農家之一

 敗戦前の農村は、自分の耕地を自分で耕作する農家と、耕地の一部を借りて耕作する農家と、全部を借りて耕作する農家の、三通りがあった。

 敗戦後の占領軍は、昭和二十一年十月二十一日、自作農創設特別措置法を公布し、同年十二月二十九日に同法を施行した。

 同法の施行は、農地を貸し付けていた所有者から、農林省が、その土地を極めて安価な価格で強制的に買い上げ、借地の耕作人に払い下げたのである。

 此を一般に“農地改革”と言う。因って昭和二十一年以降は、貸し付けの為に所有する“小作地”は無くなり、その土地を借りて耕作する“小作人”も居なくなったのだ。

 因って日本の農村は、自分の土地を自分で耕作する“自作農”丈になった。

 農村の本質を述べてみよう!

 農村には、概ね宅地と山林と原野と農地と池沼と雑種地の土地がある。

 ただ農地は、山林、原野、宅地、池沼、雑種地の、五地目とは異なり、“農地法”と言う法律の網が掛けられている

 農地は農地法によって、地目の変更と所有者の変更は許可制で、使用目的の変更も売買も、多分に制限されている。

 其れは、“農地、即ち田畑は、生産材の価値はあるが、金銭的な価値が乏しい財物”と言える。此は自作農創設特別措置法による、当然の施策である。

 今でも昔でも、何事も人はそれぞれに、巧拙はあり、長い歳月の間には、当然財を多く持てる者と、持てない者が、出来てしまう。

 この状況を、強権で平準化を図るのが、共産主義や社会主義政権の政治手法である。

 日本は敗戦を契機に、占領政策の一環として、農地改革を施行し、農民が耕作する土地の平準化を図った。

 而して、改革の成果を継続させる為に、農地法を発布し、所有権の移転を制限した。

 同法に依って、農地は流通財の対象外と成り、金銭的価値が乏しくなった。因って農家経営の巧拙に依っても、農地の移転が少く、農地所有の偏りが少なくなった。

 さて

 土地というと、都市部の地価を前提に、高価値を連想するが、都市部の土地価格は、生産器材としての価値の他に、財産価値を加味した値に近い。

 然し、現在でも農村部の耕地の価格は、主に生産手段としての価値のみで、農機具や自動車などと、差ほど違わない価格である。

 

   

 037


 農協と農家之二

 視点を換えると

 農家経営の状況を、仮に商業に擬えると……、店の奥に自宅がある商店街の店舗に似ている。老夫婦と壮夫婦が、総出で働くが、その店には息子や娘が働くほどの仕事はない。

 差ほど儲かりもせず、程ほどに食える!  この現状は、農村地帯の、農家の現状に似ている。

 話題を換えよう……。

 農家の宅地は広く、庭木も整っていて、外見上裕福にも見えるが、実情はそれ程に裕福ではないのだ。

 何故農家が大きく見えるか……。先ず宅地の価格を勘定すると、都市の宅地価格は、坪当たり二十萬、三十萬、五十萬円……もするのに、農家の宅地は、坪当たり二千、三千、五千、一萬円……。

 農村の建物は、旧来の工法と材料で造られるので、耐用年数は長く、都会の人が思うほどには金銭負担が少ないのだ。

 其れに引き替え、都市部の住家は、建設に関わる人件費も高く、内外共に見栄え良く豪華だが、建材と建造物の耐用年数は短い。

 都市部では庭木の管理にも、費用が掛かるが、農村では、抑も庭木の管理を、人任せる者など、殆ど居ない。

 簡単に拾い出した住む家丈でも、都市部の方が農村部よりも、遥かに多くのお金が掛かることが分かる。

 食生活でも、選別され、洗浄され、市場に出て、人手を経て、綺麗な物を食べる都会の人と、畑から収穫した儘を食べ農村の人とでは、それ相当の相違があることは当然だ。

 ざっと拾い出しても、この通りで、農村部は見た目程には金持ちでない。

 

 さて農協へ話題を移そう。

 農地改革によって、農地を借りて耕作する“小作人”は居なくなった。

 全員が自作農、即ち自営業者に成ったとは言え、全員が自営業者としての経営知識を備えているか? と言えば、強ちそうとも言えない。

 俗に言えば、農作物は作れるが、自営業者としての素人は沢山居たので、この人達を自営業者として自立させる為に、戦前から存在した農業会を改組して、一九四八年に農業協同組合が設立されたのだ。

 農業協同組合は、耕作指導や購買販売は基よりのこと、経営指導など、微に入り細に入指導を行った。

 立場により功罪は異なるが、農協は巨大組織を有効に使って政治的活動を為し、農家の地位向上に資した功績は大きい。

 敗戦から、既に半世紀以上過ぎ、農家の世代も換わり、農家自身も、農地改革直後とは比べものにならぬほど、経営者としての、質的な向上を遂げている農家も多い。

 

 

036


 農協と農家之三

 さて、戦後の農地改革は、貧富の差を解消に、大いに役だったが、その一面、小規模農業経営者を沢山作った。

 更に改革効果の持続を図る目的で、農地法が施行された。因って、小規模農家は、小規模の儘に、固定化されたのだ。

 然し同法施行から、既に半世紀以上も経過し、農家を取り巻く環境は、国の内外共に、劇的に変わった。

 国内ならば、国内法の対応で当座の繕いは出来るが、国外では、国際情勢に対応しなければ、農業が産業として成り立たない。

 国際市場に対応するには、概ね二件有り、規模を拡大して原価を下げ、次に技術を向上して品質を向上させるのだ。

 一件目の規模拡大には、農地法の規定が支障に成り、二件目は、農協による政治的献策が、却って保護政策の継続に繋がり、農業経営者の質的向上と優劣評価の厳しさを、曖昧にしていた。

 科学技術の水準は、日々累乗的な発展を遂げていて、食料と雖も其の例外ではない。

 何れ遠くない将来、農地が無くとも、食料生産が出来る時代が到来する。

 現に葉物野菜は、工場で生産できる丈の技術に到達している。だが現在の工場生産葉物野菜が何故に高いのか?

 其の要件は幾點かあるが、その殆どは技術で解決される事柄である。

 そして現在の農産物は、工場で生産される場合と農地で生産される場合がある。

 然し、同じ農産物の生産でも、その生産手段によって、行政施策には相違がある。

 工場で作ろうが農地で作ろうが、同一産物には、同一の施策を為すならば、農家の農産物と工場の農産物とが拮抗し、逆転することは、想像の範囲内にある。

 安価で良質な食料を提供するには、誰が何処で生産しても、同等に扱う施策を献策する。

 而して専ら農地で生産して居た農家も、生産手段を替えて事業展開する者が現れ、農産物工場が立ち並ぶ緑豊かな農村へと、変貌するであろう。

 私論の提案として……

 農地法の改正に依って、農地の流動化が可能となれば、農村に耕地を持たない農民を増大させる一因となる。

 其れは、農地とか農村云々の問題でなく、国土の荒廃に繋がる一因として、危惧しなければならない事態となる。

 因って農産物の生産性を、規模の拡大に因るのではなく、品質の向上と、生産技術の向上とに依るべきと思案する。

 今後多くの食料が、工場で生産可能となれば、犂鍬に依る食料防衛としての役割は、幾分とも工場に移転する。

 依って農村の立地意義を、国土の荒廃防止に、移す事となろう

 もう一件、重要な要件がある。

 どんなに安価で良質な産品を創っても、容易に運搬出来なければ売れない。売れなければ、お金にならない。お金が無ければ裕福に成れない。

 何にも増して、交通手段が一番重要だ。その本質を見抜き、着目着手したのは、貧農出身の田中角栄氏。

 食料生産が工場で間に合えば、当然に農地は未利用地と成る。

 未利用地を「荒廃」と見るのか「復活」と見るのか……。

 農作物を作らない土地は、山野に住む動植物の居住地が復活した! とも言えるのだ。

 この地球は、人類の為だけに在るのでは有るまい!

 

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035


あの頃の民生児童委員

社会の片隅之一

 民生児童委員は、厚生大臣から委嘱された無給の公務員で、その身分は、厚生大臣の委嘱状に因って証明される。

 私は何時ものように、要保護家庭の様子見に行く。決まりでは、週一だが、私の所属する支部では、「三日に一度にしましょう。」と決めていた。

 私が担当する区域は三百戸ほどで、要保護世帯は十数戸だった。前任者からの引き継ぎ紹介もあって、区域住民とは顔見知りの間柄に成っていた。

 隣のアパートに、「親子四人が引っ越してきた。小学生と幼児……」等々と、簡単な情報が私の耳に入る。

 視点を換えて

 何故彼等が、私に情報を提供してくれるのか? 其れには其れなりの理由がある。

 誰でも情報は持っている。話したいとも思っている。だが自分が表に出ることは極端に嫌う。「見なかった。聴かなかった」が一番無難で、即ち「触らぬ神に祟り無し」だ。

 少なくとも私の前任者は、彼等の心根を裏切らなかった。その根底には、喩え配偶者と雖も、情報源を明かさなかった。

 民生委員は事有る毎に、逐一委員同士で協議をしている。その時でも、情報源は微塵も明かさないのが鉄則だ。もし情報源を口にする委員が居たら、私は次から、その委員に意見を求めたりはしない。

 斯くして私も、前任者の事跡と信念を、悉く踏襲した積もりだ。

 現場を見聞きした人は、誰かに話したいと言う意欲を持っている。

 民生委員に話した事で、苦境から救われる人がいれば、「善いことをした」と、満足感を享受出来る。亦話そうと心に決める。

 もし私が情報源を喋ったら「もう二度と話すのはよそう!」と、心に決める。

 私は彼等の心情を、微塵も裏切らなかったので、近隣の人は、私に幾件もの情報を提供して呉れたのだ。

 話しをもとに戻そう。

 私は男性だから気心の知れた女性の民生委員を伴って、日を措かず家庭訪問をする。

 その時、近所で聞いたとは、絶対に言わない。偶々引っ越しの様子を見たと言う。

 先方が話してくれたことを、その場で逐一ノートに書き入れる。就学児童がいれば、学校まで同行し、学校長に転校の挨拶をする。

 母親の知りたい事を補佐して、校長に伝える。希望すれば転入の教室まで同行して、「みんな仲良くしてくれ」と、頭を下げる。

 みんな地区内の子供だから、私の顔を知っている。知っている小父さんが頭を下げたのだから、その子を邪慳にはしない。

 

 

034


 社会の片隅之二

 元気のない子供を見掛けると、私の處に電話が入る。直ぐに確認に行く。怪我か喧嘩か虐待か……。親に会う必要が有れば、女性の民生委員を伴って、親に事情を聴く。

 話題を鋏むが

 千葉県には、「母子健康推進委員」と言う制度があった。母推(省略)は、民生児童委員からの指示で活動していたようで、私が結婚した頃、「民生委員からの連絡が有ったので」と、母推の皆川夫人が尋ねてきた。

 皆川夫人は、家柄も教養も育児経験も豊富な人で、地域では顔の広い人だった。

 「母推さんは、子供が小学生に成るまで、親にも聴けない、夫にも聴けないことを、何でも相談に乗ってくれて、育児に悩むことは無かった」と妻は言っていた。

 民生委員の話に戻すと

 家庭内諍いの要因は、知識不足、貧困、孤独の三點で、虐待も孤独死も自殺も、直近の要因は“孤独”である。

 先ずは、孤独に陥らないように対応するのが、母推や民生委員の勤めで、孤独にさえ陥らなければ、他の道を捜せるのだ。

 悩み事を聞きさえすれば、母推も民生委員も、行政補助の方法を教えられる。     孤独死も貧困も、免れる方法は幾通りもあり、苦境から脱出する道が拓けるのだ。

 家庭内諍いを回避する為に、各種のサークルなどもあるが、抑も此を活用できる人は、虐待や孤独死に陥らない人達である。

 虐待や孤独や自死に陥る人は、自分から救いを求めることが下手で、じっと暗闇に身を潜めていている人達なのだ。

 私の経験から、要保護対象者の多くが、子供の頃、或いは親の代から、自分の意思を的確に相手に伝えるのが下手だった様だ。

 因って、社会から取り残され、欺かれた経験が有り、容易に心を開かない場合が多い。

 この様な対象者に、几を鋏んだ面前で、困り事を述べさせたり、「さあ聞きに来て下さい」と誘っても、所詮無理である。

 誰にも知れずに悩みを聴いてくれる人が、必要である。かと言って、電話相談を開設しても、対応者が、知識人なので、却って怖じけて、簡単な遣り取りで切り上げて仕舞い、胸襟を開くには到らない。

 又彼等は、職務で話しているのか、厚意で話しているのかは、敏感に判別するのだ。

 職務で話している人の話は、其れなりの論理性があって、一般には理解し易いが、要保護者には、其れが却って重荷のようだ。

 彼等は、今まで嫌と言うほど示唆された経験があるので、あれこれ示唆して呉れる人に対しては、「言われなくとも解っているよ」と、まず自分自身を防御する。

 中々厄介な問題だ!

 

 

033  


 社会の片隅之三

 結局彼等に心を開かせるには、“示唆するのではなく”膝を交えて、相談に乗ってくれる“ひと”が必要である。

 其れには、“同感”が必要な要件だろう!

 其の公的な役職として、民生児童委員と母子健康推進委員が有ったのだ。

 家庭内諍いは、当の本人が施設に出向いて相談すればよいと言うが、本人が行かないのだから、此方から勝手に出向くより、仕方がないのだ。

 民生委員や母推は、先方から呼ばれて行くのではなくて、自分が得た情報を頼りに、頼まれもしないのに、此方から勝手に尋ねて行くのだ。

 他人様を勝手に訪ねるのに、空身では思慮不足で、空茶一杯でも、先方に負担を掛けるので、その事を思い遣る心遣いは必要だ。

 お子さんが居るのなら、飴玉一粒でも良いし、老人なら柔らかな煎餅一枚でも良い。

 私の場合も、飴玉数個か煎餅数枚しか持参しないが、最初の対面で、空身と飴玉一つとは、心を開くか開かないかの違いとなる。

 そして民生委員や母推さんが尋ねてきて、一対一で話すと、大抵の人は心を開く。

 母推や民生委員は無報酬で、報酬を得て対応する職員とは本質が異なり、母推や民生委員は、近隣顔見知りの“ひと”であり、其処には、人と人との信頼関係が有った。

 だが惜しいかな、今では母子健康推進委員は、抑も制度が廃止され、更に血の通った民生委員も居なくなった。

 其れは、個人情報保護法の施行によって、民生委員が個人情報を収集使用出来なく成ったからである。

 個人情報を提供する住民と、前もって蓄積整理した個人情報が無ければ、社会の片隅で悩んでいる人を捜し出し、手を差し伸べることは到底出来ない。

 前もって、相手の事情が分かっていなければ、事故に対応できないのに、厚意で手を差し伸べても、却って厚意を誹謗中傷され、悪意と書き立てられたり、犯罪者にされる事があったのだ。

 厚意を悪意とされた事案は、噂となって数日の中に、或いは数ヶ月の中に、全国の民生児童委員の知るところと成った。

 因って、今まで律儀に務めていた民生委員は、任期を更新せずに、各人の任期満了を以て、個々に手を引いた。因って、今まで防止されていた虐めや自殺が、野放しになって紙面を賑わすように成ったのだ。

 今まで通り、民生委員や母推が活動していたなら、新聞紙上で知られる自殺や虐めは、殆ど事前に防止されていたのに……。

 嘗ての活動例として

 被害のお子さんと、民生委員と学校と、教育委員会の関係を述べて見よう。

 

 

032


 社会の片隅之四

 今では勇気ある親御さんが、学校へ虐めを報告しても、殆どが握りつぶされています。

 学校の教職員と雖も、家庭が有り、父母も妻も子も借財も有るのです。

 出来るだけ、安全な道を選ぶのは、当然な趨勢で、出来るだけ触らない方が安全ですから、事勿れに納めることとなる。其れは、教育委員会でも同じ事が言える。

 欽八先生は、稀な“ひと”で、欽八先生の様な先生が居たら好いなあ……、と言う渇望の表れだ。

 然し、渇望は渇望で、握り潰すと言う、教職員の対応の方が「まとも」なのである。

 處が数年前までは

 虐められている子が、居るとします。親御さんからの申し出では有りません。

 民生委員は近隣住民の情報提供によって、虐められているお子さんを知ります。

 民生委員の側から、お宅のお子さんが、虐められているようですね! と此方から聲を掛けます。

 そして細部に亘り、状況を確認します。民生委員は学校に赴き、“民生委員独自の調査による報告です。”と断りを入れてから、

 ○○君が虐めを受けていますね! □君と◇君が虐めています。調査した状況を、細かに書類で陳述するのです。

 民生委員独自の調査による報告と、断りを入れておけば、学校側から生徒側に累が及ぶことは有りません。

 学校側は生徒側に、事実確認をしますが、虐められっ子の親御さんは、気が弱いですから、生半可な返事しかしません。

 其れでもよいのです。

 民生委員の地区長は、毎月問題事案に對しての対応を、地区毎に纏め、市の地区部長会議に、資料を添付して報告します。

 「○月○日、□小学校の男子児童一名が、恐喝の虐めを受けたので、その旨を□小学校に報告し、適切なる対応を求めました。」と、報告するのです。

 因ってこの事案は、市内全域の民生児童委員の知るところと成ったのです。

 公になったのでは、学校は基より、教育委員会でも、握り潰す事も出来ません。因って日を措いて□小学校から、情報提供をした民生委員に、事の顛末が知らされます。その顛末は附近住民の情報によって確認します。

 顛末は、月末に纏められ、地区民生委員から、市内全域の民生委員に報告されます。

 だが現在では

 勇気ある親御さんが、学校や教育委員会に訴えても、学友の父兄は知らん顔で、学校からも握り潰され、孤立無援と成るのだ。

 其れは訴える側が、児童の親御さんと言う個人だからである。

 

 

031 


 社会の片隅之五

 以前は、厚生大臣から委嘱された公務員としての民生委員が申立人で、個人では無かったから、握り潰さなかったのである。

 申立人が個人か、後ろ盾のある公務員かの違いで、学校側の態度が異なったのだ。

 然し現在の状況は、個人情報保護法が施行され、附近の住民が民生委員に、情報を提供をすることは、法に抵触するので堅く禁じられている。

 民生委員は、自分から情報を探すことも、住民からの情報収集も、法の抵触を恐れて行わない。

 役所では、情報提供を呼び掛けているが、その情報では一向に役立たない。其れは事前情報ではなく、過去の情報だからである。

 過去の情報を幾ら集めても、直近未來の対応には役立たないのだ。それは、如何に事件直後の情報でも、事件以前の対応、即ち過去は変えられないのである。

 川原で少年が殺されていた。新聞報道に因れば、少年の家庭は、要保護家庭に該当する要件を備えていたようだ。

 以前のように、住民が心の儘に通報出来たなら、其の家族を担当していた民生委員は、事件の数日前には、其の兆候を把握できて、殺されずに済んだ筈だ。

 だが今では、その地域を担当していた民生委員も、法の足かせで救いの手が出せず、どんなに悔しかったことか、想像に余りある。

 今では、屍体が転ばって居ても、口を閉ざし、見なかった、聞かなかった……。が現実の状況である。

 要保護家庭は子供ばかりではない。当然青年も壮年も老年も……。

 この三者に共通するのは智慧不足で、現状を他者の責に課して言い逃れを為し、学ぶことを怠り、努力を怠り、忍耐を怠って、自己を正当化することに努める。

 此の心情は、他者に對してではなく、自分自身で納得しているから、始末が悪い。

 彼等はこの状況を数十年続けて来たのだから、骨の髄まで染み込んで居て、私には到底対応できなかった。因って老練な民生委員に委ねるが、彼にも対応は難しく、役所に現状を報告して対応を求める仕儀となった。

 我が子を虐待する親も、我が親を虐待する子も居て、我が子への虐待には対応したが、我が親への虐待は、役所に報告して、物理的に引き離して貰う方法を執った。

 私の担当区域ではないが、、孤独死もあった。無人島ではないから、周囲には人が沢山居るが、誰も心に留めていなかった。

 寸前で助かった事例として、女性民生委員の處に、ヤクルト配達員から連絡があった。交番の巡査が立ち会って、私が窓を破って室内に入った。

 

 

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 030 


 社会の片隅之六

 私の担当区域でないが、死にそうな老婦人が、救急搬送され一命を取り留めた。勿論隣の部屋の住人が救急車を呼び、担当民生委員にも、その旨を知らせてくれた。

 幸いに一命を取り留めたが、其れは普段その老婦人が、自分から心を開いていたからである。

 自分から心を開かなければ、隣室と雖も救急車を呼んでは呉れなかったろう。自分が為さなければ、先方から為して呉れることはないのだ。社会とは、そう言うことだ。

 もう一人、私の担当する独居婦人が、救急車で運ばれた。連絡を受けた私は、女性の民生委員を伴って、病院に行った。医師に容体を聴く。容体によっては身内に連絡するが、私の資料に身内の記載がない。 医療費などの補助手続を代行し、退院の日と成った。

 退院の日は私の車で、ご婦人の住んでいたアパートまで送った。妻が当座十日分の米と野菜と味噌醤油を私に持たせてくれた。

 同行の女性民生委員が、流し台を整理し、冷蔵庫の中を整理した。

 当日一食分の食事を作った。

 私の退任後、独居婦人は役所の手続きで、ホームに移ったそうだ。

 ゴミ部屋整理に、駆り出された事もある。こんな事は珍しいことではない。

 この記事は、私個人の経験談だが、

 私の所属していた地域支部には、三十六名の民生児童委員が所属し、私のように専ら足で稼ぐ人と、各種資格や、経験を持った専門家が、規定の割合で在席する組織である。

 因って少年非行が発覚すると、○さんの指示を仰ぎ、幼児の虐待は□さん、学童の虐めは◇さんと、各々に同僚専門家の、指示を仰ぎ対応していた。

 私が要保護に対応できたのは、初期の初期の、事前の段階だから出来たことで、遅くなったら私には無理だった。この頃、役所に寄せられる情報は、見るに見かねた事後情報だから、対応が難しいのは当然だ。

 私は活動資料一切を焼却し、此まで努めた三期九年間の、民生委員の職務を終えた。

 この頃、虐めの話題が無日はない。

 死人に幾ら注射をしても生き返らない。

 此が今の状況だ。

 予防の道を断ったからだ!

 

 

 029   


  ライフワーク

 実を言うと、私は課題「マイブーム」の語意を知らなかった。ただライスワーク、ライクワーク、ライフワーク、ライトワークの、何れかであろう事は大凡の想像は付いた。

 其れならこの際、ライ○ワークの経験談で紙面を埋めるのも一興かと筆を執った。

 社会に出て先ず視たのは、皆さんが喰う為に、汲汲と働いている姿であった。

 此が即ち、「ライスワーク」だろう。

 私はこの事に没頭した。銭を追えば銭に追い掛けられ、此が一生続くなんて……、果たしてこの生き方で良いのか?

 三度の飯が食えれば良いので、好きな事に遣り甲斐を探そうと、方針転換を意識した。

 子供の頃から好きな、中國哲学を「ライクワーク」にしようと、生き方を決めた。

 その頃は、日中国交回復直後で、渡中が極めて少なかったが、私は仏教団体が渡中する事を聞きつけ、団体に便乗して渡中した。

 僧侶の話しは、屡々哲学が俎上に上る。私はこの機会にと、しゃしゃり出て、薀蓄を披露した。渡中の度に薀蓄を披露するので、中國の学者から評価されるように成った。

 先ず国文学者を紹介され、其れから詩家を紹介され、何時のまにか政府の要人と、作品の応酬をする間柄に成ってしまった。

 渡中僧侶の団体に潜り込んでから、既に四十年も経って仕舞い、政権も、江澤民氏、胡錦涛氏、習近平氏と、三代も換わった。

 中國の詩家は、古来から思想家で、私の知る限り、詩歌を橋梁に中国政府要人との関わりを為す者は、数人だけだった。

 因って私は、習近平体制成立を契機に、中國詩家との関わりを一切絶ち、国内でも、詩詞壇主宰の職を同好に委ねて辞した。

 さて私は、地元の世話にはなるが、役には立って居なかったので、自分自身にとても恥ずかしい思いがあって、民生児童委員を拝命した。即ち「ライフワーク」だ。

 事前に情報が無ければ、虐めや虐待、孤独や自死は、阻止出来ないのだが、私の任期中に個人情報保護法が施行されたので、社会の片隅で苦しむ人を助ける事は、到底出来なくなった。因って、三期九年で辞任した。

 学童の交通事故はとても多い。私は児童の登下校の交通見守りを十三年間続け、体力の衰えを自覚して辞任した。

 次いで「ライトワーク」だ。三歳年上の友人が、このほど養蜂業を始めたと電話で知らせてきた。蜂蜜が有るから遊びに来いよ! と言う。私は羨ましく思った。

 私にだって出来る! と言う気概丈はあるが、この頃高齢者の交通事故が、頗る多い。因って、自ずと為すことに制限はある。

 仕方なく自己満足の域を出ないが、エッセイを書く努力をしている。

 ただ残り少ない時間を、自分の為だけに費やすのが心苦しい。

 

 

028  


初恋  我が家の金太郎飴

 私にも初恋は有る…、有るのではなくて、有ったのだ。だが殆ど忘れて仕舞った。

 人類は、他の哺乳動物と比べて、未熟児状態の出産で、養育は殊に手数が掛かり、母親だけでは対応が厳しい。因って此を補助するために、父親の参加が必要となる。

 この事は、生まれた児が自立して生き延びられる期間で、概ね牛馬は数ヶ月だが、象は数年とも謂われている。

 此は哺乳動物の本能で、人類なら五六年、父親は母親を補助して子を育てる。更に人類には、五六年間の養育の他に、更に継続して社会性に依る教育が必要である。

 生まれて五六年は本能なので、其の養育を放棄する親は少ないが、その後に続く社会性に依る教育は、どの親も等しく社会性を弁えて、教育するとは限らない。

 視点を換えよう!

 “人”の人たる所以は、「過去を考察し、未來を予測し、然る後に決断する」から、“人”であって、「過去を考察せず、未來を予測せず、目前の事象のみに反応して決断する生き方は、概ね鳥獣昆虫と異ならない。

 外見は“人”だが、本質は“鳥獣昆虫”類の者は、現代でも、決して皆無ではない。

 話題をもとに戻そう!

 五体満足なら、“人”でも“獣”でも、子供は容易く作れるので作るが、育てない母や父の話題は、時折新聞の片隅に載る。

 人の賢さは、過去を考察し未來を予測する能力の優劣に因るので、男でも女でも、賢い人は賢い異性を選び、普通の人は普通の異性を選び、そうでない者は、外見で選んだり、この頃は、電気信号で選ぶ場合も有る。

 ただ此は双方が冷静に観察した場合で、思春期の恋愛感情は、動物的本能が占める割合が多いので、結果として過去の考察、未来の予測が疎かに成る場合がある。

 配偶の要件は、賢愚だけではなく、相性と謂われる摩訶複雑な要件もある。

 結婚後の歳月は独身の歳月よりも、遥かに多いので、結婚後に如何様にも変わると謂う者も居るが、“人”の本質は、“金太郎飴”の如く、代代受け継がれ、箱や包装が変わっても、中味は殆ど変わらないのだ。

 結婚すると、メーカーの異なる金太郎飴が混ざり合って、新たな金太郎飴が産み出される。即ち生まれた子供達である。

 配偶者選びは、その結果が当事者だけではなく、代代引き継がれるので、一時の感情に流されて、負の連鎖に陥らぬように取り組むことが肝要である。

 盆や正月に親類縁者が集まると、再婚もあるが、皆さん何処となく似て居る。嫁さんまでも似ていて、不思議と言えば不思議だ!

 斯く謂う私の子供達は、妻にも、従姉妹にも、叔父さんにも、何処となく似ている。

 此が偶然と言えようか!

 

 

027 


 農協と農家之一

 

 敗戦前の農村は、自分の耕地を自分で耕作する農家と、耕地の一部を借りて耕作する農家と、全部を借りて耕作する農家の、三通りがあった。

 敗戦後の占領軍は、昭和二十一年十月二十一日、自作農創設特別措置法を公布し、同年十二月二十九日に同法を施行した。

 同法の施行は、農地を貸し付けていた所有者から、農林省が、その土地を極めて安価な価格で強制的に買い上げ、借地の耕作人に払い下げたのである。

 此を一般に“農地改革”と言う。因って昭和二十一年以降は、貸し付けの為に所有する“小作地”は無くなり、その土地を借りて耕作する“小作人”も居なくなったのだ。

 因って日本の農村は、自分の土地を自分で耕作する“自作農”丈になった。

 農村の本質を述べてみよう!

 農村には、概ね宅地と山林と原野と農地と池沼と雑種地の土地がある。

 ただ農地は、山林、原野、宅地、池沼、雑種地の、五地目とは異なり、“農地法”と言う法律の網が掛けられている

 農地は農地法によって、地目の変更と所有者の変更は許可制で、使用目的の変更も売買も、多分に制限されている。

 其れは、“農地、即ち田畑は、生産材の価値はあるが、金銭的な価値が乏しい財物”と言える。此は自作農創設特別措置法による、当然の施策である。

 今でも昔でも、何事も人はそれぞれに、巧拙はあり、長い歳月の間には、当然財を多く持てる者と、持てない者が、出来てしまう。

 この状況を、強権で平準化を図るのが、共産主義や社会主義政権の政治手法である。

 日本は敗戦を契機に、占領政策の一環として、農地改革を施行し、農民が耕作する土地の平準化を図った。

 而して、改革の成果を継続させる為に、農地法を発布し、所有権の移転を制限した。

 同法に依って、農地は流通財の対象外と成り、金銭的価値が乏しくなった。因って農家経営の巧拙に依っても、農地の移転が少なく、農地所有の偏りが少なくなった。

 さて

 土地というと、都市部の地価を前提に、高価値を連想するが、都市部の土地価格は、生産器材としての価値の他に、財産価値を加味した値に近い。

 然し、現在でも農村部の耕地の価格は、生産手段としての価値であるから、農機具や自動車などと、差ほど違わない価値である。

 

 

026 


 農協と農家之二

 視点を換えると

 農家経営の状況を、仮に商業に擬えると……、店の奥に自宅がある商店街の店舗に似ている。老夫婦と壮夫婦が、総出で働くが、その店には息子や娘が働くほどの仕事はない。

 差ほど儲かりもせず、程ほどに食える!  この現状は、農村地帯の、農家の現状に似ている。

 話題を換えよう……。

 農家の宅地は広く、庭木も整っていて、外見上裕福にも見えるが、実情はそれ程に裕福ではないのだ。

 何故農家が大きく見えるか……。先ず宅地の価格を勘定すると、都市の宅地価格は、坪当たり二十萬、三十萬、五十萬円……もするのに、農家の宅地は、坪当たり二千、三千、五千、一萬円……。

 農村の建物は、旧来の工法と材料で造られるので、耐用年数は長く、都会の人が思うほどには金銭負担が少ないのだ。

 其れに引き替え、都市部の住家は、建設に関わる人件費も高く、内外共に見栄え良く豪華だが、建材と建造物の耐用年数は短い。

 都市部では庭木の管理にも、費用が掛かるが、農村では、抑も庭木の管理を、人任せる者など、殆ど居ない。

 簡単に拾い出した住む家丈でも、都市部の方が農村部よりも、遥かに多くのお金が掛かることが分かる。

 食生活でも、選別され、洗浄され、市場に出て、人手を経て、綺麗な物を食べる都会の人と、畑から収穫した儘を食べ農村の人とでは、それ相当の相違があることは当然だ。

 ざっと拾い出しても、この通りで、農村部は見た目程には金持ちでない。

 

 さて農協へ話題を移そう。

 農地改革によって、農地を借りて耕作する“小作人”は居なくなった。

 全員が自作農、即ち自営業者に成ったとは言え、全員が自営業者としての経営知識を備えているか? と言えば、強ちそうとも言えない。

 俗に言えば、農作物は作れるが、自営業者としての素人は、沢山居たので、この人達を自営業者として自立させる為に、戦前から存在した農業会を改組して、一九四八年に農業協同組合が設立された。

 農業協同組合は、耕作指導や購買販売は基よりのこと、経営指導など、微に入り細に入指導を行った。

 立場により功罪は異なるが、農協は巨大組織を有効に使って政治的活動を為し、農家の地位向上に資した功績は大きい。

 敗戦から、既に半世紀以上過ぎ、農家の世代も換わり、農家自身も、農地改革直後とは比べものにならぬほど、経営者としての、質的な向上を遂げている農家も多い。

 

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025 


 農協と農家之三

 さて、戦後の農地改革は、貧富の差を解消に、大いに役だったが、その一面、小規模農業経営者を沢山作った。

 更に改革効果の持続を図る目的で、農地法を施行した。因って、小規模農家は、小規模の儘に、固定化された。

 然し同法施行から、既に半世紀以上も経過し、農家を取り巻く環境は、国の内外共に、劇的に変わった。

 国内ならば、国内法の対応で当座の繕いは出来るが、国外では、国際情勢に対応しなければ、農業が産業として成り立たない。

 国際市場に対応するには、概ね二件有り、規模を拡大して原価を下げ、次に技術を向上して品質を向上させるのだ。

 一件目の規模拡大には、農地法の規定が支障に成り、二件目は、農協による政治的献策が、却って保護政策の継続に繋がり、農業経営者の質的向上と優劣評価の厳しさを、曖昧にしていた。

 科学技術の水準は、日々累乗的な発展を遂げていて、食料と雖も其の例外ではない。

 何れ遠くない将来、農地が無くとも、食料生産が出来る時代が到来する。

 現に葉物野菜は、工場で生産できる丈の技術に到達している。だが現在の工場生産葉物野菜が何故に高いのか?

 其の要件は幾點かあるが、その殆どは技術で解決される事柄である。

 そして現在の現在の農産物は、工場で生産される場合と農地で生産される場合がある。

 然し、同じ農産物の生産でも、その生産手段によって、行政施策には相違がある。

 工場で作ろうが農地で作ろうが、同一産物には同一の施策を為すならば、農家の農産物と工場の農産物とが拮抗し、いずれ逆転することは、想像の範囲内にある。

 安価で良質な食料を提供するには、誰が何処で生産しても、同等に扱う施策を献策する。

 而して専ら農地で生産していた農家も生産手段を替えて事業展開する者が現れ、農産物工場が建ち並ぶ緑豊かな農村へと、変貌するであろう。

 私論の提案として……

 農地法の改正に依って、農地の流動化が可能となれば、農村に耕地を持たない農民を増大させる一因となる。

 其れは農地とか農村云々の問題では無く、国土の荒廃に繋がる一因として、危惧しなければならない事態となる。

 因って農産物の生産性を、規模の拡大に因るのではなく、品質の向上と、生産技術の向上とに依るべきと思案する。

 今後多くの食料が、工場で生産されるとなれば、鋤鍬に依る食料防衛としての役割は、幾分とも工場に移転する。

 依って農村の立地意義を、国土の荒廃防止に、移す事となろう

 もう一件、重要な要件がある。

 どんなに安価で良質な産品を創っても、容易に運搬出来なければ売れない。売れなければ、お金にならない。お金が無ければ裕福に成れない。

 何にも増して、交通手段が一番重要だ。その本質を見抜き、着目着手したのは、貧農出身の田中角栄氏。

 食料生産が工場で間に合えば、当然に農地は未利用地となる。

 未利用地を「荒廃」と見るのか「復活」と見るのか……。

 農作物を作らない土地は山野に住む動植物の居住地が復活した! とも言えるのだ。

 この地球は人類の為だけに在るのでは有るまい!

 

 

024 


あの頃の民生児童委員

社会の片隅之一

 民生児童委員は、厚生大臣から委嘱された無給の公務員で、その身分は、厚生大臣の委嘱状に因って証明される。

 私は何時ものように、要保護家庭の様子見に行く。決まりでは、週一だが、私の所属する支部では、「三日に一度にしましょう。」と決めていた。

 私が担当する区域は三百戸ほどで、要保護世帯は十数戸だった。前任者からの引き継ぎ紹介もあって、区域住民とは顔見知りの間柄に成っていた。

 隣のアパートに、「親子四人が引っ越してきた。小学生と幼児……」等々と、簡単な情報が私の耳に入る。

 視点を換えて

 何故彼等が、私に情報を提供してくれるのか? 其れには其れなりの理由がある。

 誰でも情報は持っている。話したいとも思っている。だが自分が表に出ることは極端に嫌う。「見なかった。聴かなかった」が一番無難で、即ち「触らぬ神に祟り無し」だ。

 少なくとも私の前任者は、彼等の心根を裏切らなかった。その根底には、喩え配偶者と雖も、情報源を明かさなかった。

 民生委員は事有る毎に、逐一委員同士で協議をしている。その時でも、情報源は微塵も明かさないのが鉄則だ。もし情報源を口にする委員が居たら、私は次から、その委員に意見を求めたりはしない。

 斯くして私も、前任者の事跡と信念を、悉く踏襲した積もりだ。

 現場を見聞きした人は、誰かに話したいと言う意欲を持っている。

 民生委員に話した事で、苦境から救われる人がいれば、「善いことをした」と、満足感を享受出来る。亦話そうと心に決める。

 もし私が情報源を喋ったら「もう二度と話すのはよそう!」と、心に決める。

 私は彼等の心情を、微塵も裏切らなかったので、近隣の人は、私に幾件もの情報を提供して呉れたのだ。

 話しをもとに戻そう。

 私は男性だから気心の知れた女性の民生委員を伴って、日を措かず家庭訪問をする。

 その時、近所で聞いたとは、絶対に言わない。偶々引っ越しの様子を見たと言う。

 先方が話してくれたことを、その場で逐一ノートに書き入れる。就学児童がいれば、学校まで同行し、学校長に転校の挨拶をする。

 母親の知りたい事を補佐して、校長に伝える。希望すれば転入の教室まで同行して、「みんな仲良くしてくれ」と、頭を下げる。

 みんな地区内の子供だから、私の顔を知っている。知っている小父さんが頭を下げたのだから、その子を邪慳にはしない。

 

 

023 


 社会の片隅之二

 元気のない子供を見掛けると、私の處に電話が入る。直ぐに確認に行く。怪我か喧嘩か虐待か……。親に会う必要が有れば、女性の民生委員を伴って、親に事情を聴く。

 話題を鋏むが

 千葉県には、「母子健康推進委員」と言う制度があった。母推(省略)は、民生児童委員からの指示で活動していたようで、私が結婚した頃、「民生委員からの連絡が有ったので」と、母推の皆川夫人が尋ねてきた。

 皆川夫人は、家柄も教養も育児経験も豊富な人で、地域では顔の広い人だった。

 「母推さんは、子供が小学生に成るまで、親にも聴けない、夫にも聴けないことを、何でも相談に乗ってくれて、育児に悩むことは無かった」と妻は言っていた。

 民生委員の話に戻すと

 家庭内諍いの要因は、知識不足、貧困、孤独の三點で、虐待も孤独死も自殺も、直近の要因は“孤独”である。

 先ずは、孤独に陥らないように対応するのが、母推や民生委員の勤めで、孤独にさえ陥らなければ、他の道を捜せるのだ。

 悩み事を聞きさえすれば、母推も民生委員も、行政補助の方法を教えられる。     孤独死も貧困も、免れる方法は幾通りもあり、苦境から脱出する道が拓けるのだ。

 家庭内諍いを回避する為に、各種のサークルなどもあるが、抑も此を活用できる人は、虐待や孤独死に陥らない人達である。

 虐待や孤独や自死に陥る人は、自分から救いを求めることが下手で、じっと暗闇に身を潜めていている人達なのだ。

 私の経験から、要保護対象者の多くが、子供の頃、或いは親の代から、自分の意思を的確に相手に伝えるのが下手だった様だ。

 因って、社会から取り残され、欺かれた経験が有り、容易に心を開かない場合が多い。

 この様な対象者に、几を鋏んだ面前で、困り事を述べさせたり、「さあ聞きに来て下さい」と誘っても、所詮無理である。

 誰にも知れずに悩みを聴いてくれる人が、必要である。かと言って、電話相談を開設しても、対応者が、知識人なので、却って怖じけて、簡単な遣り取りで切り上げて仕舞い、胸襟を開くには到らない。

 又彼等は、職務で話しているのか、厚意で話しているのかは、敏感に判別するのだ。

 職務で話している人の話は、其れなりの論理性があって、一般には理解し易いが、要保護者には、其れが却って重荷のようだ。

 彼等は、今まで嫌と言うほど示唆された経験があるので、あれこれ示唆して呉れる人に対しては、「言われなくとも解っているよ」と、まず自分自身を防御する。

 中々厄介な問題だ!

 

022 


 社会の片隅之三

 

 結局彼等に心を開かせるには、“示唆するのではなく”膝を交えて、相談に乗ってくれる“ひと”が必要である。

 其れには、“同感”が必要な要件だろう!

 其の公的な役職として、民生児童委員と母子健康推進委員が有ったのだ。

 家庭内諍いは、当の本人が施設に出向いて相談すればよいと言うが、本人が行かないのだから、此方から勝手に出向くより、仕方がないのだ。

 民生委員や母推は、先方から呼ばれて行くのではなくて、自分が得た情報を頼りに、頼まれもしないのに、此方から勝手に尋ねて行くのだ。

 他人様を勝手に訪ねるのに、空身では思慮不足で、空茶一杯でも、先方に負担を掛けるので、その事を思い遣る心遣いは必要だ。

 お子さんが居るのなら、飴玉一粒でも良いし、老人なら柔らかな煎餅一枚でも良い。

 私の場合も、飴玉数個か煎餅数枚しか持参しないが、最初の対面で、空身と飴玉一つとは、心を開くか開かないかの違いとなる。

 そして民生委員や母推さんが尋ねてきて、一対一で話すと、大抵の人は心を開く。

 母推や民生委員は無報酬で、報酬を得て対応する職員とは本質が異なり、母推や民生委員は、近隣顔見知りの“ひと”であり、其処には、人と人との信頼関係が有った。

 だが惜しいかな、今では母子健康推進委員は、抑も制度が廃止され、更に血の通った民生委員も居なくなった。

 其れは、個人情報保護法の施行によって、民生委員が個人情報を収集使用出来なく成ったからである。

 個人情報を提供する住民と、前もって蓄積整理した個人情報が無ければ、社会の片隅で悩んでいる人を捜し出し、手を差し伸べることは到底出来ない。

 前もって、相手の事情が分かっていなければ、事故に対応できないのに、厚意で手を差し伸べても、却って厚意を誹謗中傷され、悪意と書き立てられたり、犯罪者にされる事があったのだ。

 厚意を悪意とされた事案は、噂となって数日の中に、或いは数ヶ月の中に、全国の民生児童委員の知るところと成った。

 因って、今まで律儀に務めていた民生委員は、任期を更新せずに、各人の任期満了を以て、個々に手を引いた。因って、今まで防止されていた虐めや自殺が、野放しになって紙面を賑わすように成ったのだ。

 今まで通り、民生委員や母推が活動していたなら、新聞紙上で知られる自殺や虐めは、殆ど事前に防止されていたのに……。

 嘗ての活動例として

 被害のお子さんと、民生委員と学校と、教育委員会の関係を述べて見よう。

 

 

021 


 社会の片隅之四

 

 今では勇気ある親御さんが、学校へ虐めを報告しても、殆どが握りつぶされています。

 学校の教職員と雖も、家庭が有り、父母も妻も子も借財も有るのです。

 出来るだけ、安全な道を選ぶのは、当然な趨勢で、出来るだけ触らない方が安全ですから、事勿れに納めることとなる。其れは、教育委員会でも同じ事が言える。

 欽八先生は、稀な“ひと”で、欽八先生の様な先生が居たら好いなあ……、と言う渇望の表れだ。

 然し、渇望は渇望で、握り潰すと言う、教職員の対応の方が「まとも」なのである。

 處が数年前までは

 虐められている子が、居るとします。親御さんからの申し出では有りません。

 民生委員は近隣住民の情報提供によって、虐められているお子さんを知ります。

 民生委員の側から、お宅のお子さんが、虐められているようですね! と此方から聲を掛けます。

 そして細部に亘り、状況を確認します。民生委員は学校に赴き、“民生委員独自の調査による報告です。”と断りを入れてから、

 ○○君が虐めを受けていますね! □君と◇君が虐めています。調査した状況を、細かに書類で陳述するのです。

 民生委員独自の調査による報告と、断りを入れておけば、学校側から生徒側に累が及ぶことは有りません。

 学校側は生徒側に、事実確認をしますが、虐められっ子の親御さんは、気が弱いですから、生半可な返事しかしません。

 其れでもよいのです。

 民生委員の地区長は、毎月問題事案に對しての対応を、地区毎に纏め、市の地区部長会議に、資料を添付して報告します。

 「○月○日、□小学校の男子児童一名が、恐喝の虐めを受けたので、その旨を□小学校に報告し、適切なる対応を求めました。」と、報告するのです。

 因ってこの事案は、市内全域の民生児童委員の知るところと成ったのです。

 公になったのでは、学校は基より、教育委員会でも、握り潰す事も出来ません。因って日を措いて□小学校から、情報提供をした民生委員に、事の顛末が知らされます。その顛末は附近住民の情報によって確認します。

 顛末は、月末に纏められ、地区民生委員から、市内全域の民生委員に報告されます。

 だが現在では

 勇気ある親御さんが、学校や教育委員会に訴えても、学友の父兄は知らん顔で、学校からも握り潰され、孤立無援と成るのだ。

 其れは訴える側が、児童の親御さんと言う個人だからである。

 

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020 


 社会の片隅之五

 

 以前は、厚生大臣から委嘱された公務員としての民生委員が申立人で、個人では無かったから、握り潰さなかったのである。

 申立人が個人か、後ろ盾のある公務員かの違いで、学校側の態度が異なったのだ。

 然し現在の状況は、個人情報保護法が施行され、附近の住民が民生委員に、情報を提供をすることは、法に抵触するので堅く禁じられている。

 民生委員は、自分から情報を探すことも、住民からの情報収集も、法の抵触を恐れて行わない。

 役所では、情報提供を呼び掛けているが、その情報では一向に役立たない。其れは事前情報ではなく、過去の情報だからである。

 過去の情報を幾ら集めても、直近未來の対応には役立たないのだ。それは、如何に事件直後の情報でも、事件以前の対応、即ち過去は変えられないのである。

 川原で少年が殺されていた。新聞報道に因れば、少年の家庭は、要保護家庭に該当する要件を備えていたようだ。

 以前のように、住民が心の儘に通報出来たなら、其の家族を担当していた民生委員は、事件の数日前には、其の兆候を把握できて、殺されずに済んだ筈だ。

 だが今では、その地域を担当していた民生委員も、法の足かせで救いの手が出せず、どんなに悔しかったことか、想像に余りある。

 今では、屍体が転ばって居ても、口を閉ざし、見なかった、聞かなかった……。が現実の状況である。

 要保護家庭は子供ばかりではない。当然青年も壮年も老年も……。

 この三者に共通するのは智慧不足で、現状を他者の責に課して言い逃れを為し、学ぶことを怠り、努力を怠り、忍耐を怠って、自己を正当化することに努める。

 此の心情は、他者に對してではなく、自分自身で納得しているから、始末が悪い。

 彼等はこの状況を数十年続けて来たのだから、骨の髄まで染み込んで居て、私には到底対応できなかった。因って老練な民生委員に委ねるが、彼にも対応は難しく、役所に現状を報告して対応を求める仕儀となった。

 我が子を虐待する親も、我が親を虐待する子も居て、我が子への虐待には対応したが、我が親への虐待は、役所に報告して、物理的に引き離して貰う方法を執った。

 私の担当区域ではないが、、孤独死もあった。無人島ではないから、周囲には人が沢山居るが、誰も心に留めていなかった。

 寸前で助かった事例として、女性民生委員の處に、ヤクルト配達員から連絡があった。交番の巡査が立ち会って、私が窓を破って室内に入った。

 

  019 


 社会の片隅之六

 

 私の担当区域でないが、死にそうな老婦人が、救急搬送され一命を取り留めた。勿論隣の部屋の住人が救急車を呼び、担当民生委員にも、その旨を知らせてくれた。

 幸いに一命を取り留めたが、其れは普段その老婦人が、自分から心を開いていたからである。

 自分から心を開かなければ、隣室と雖も救急車を呼んでは呉れなかったろう。自分が為さなければ、先方から為して呉れることはないのだ。社会とは、そう言うことだ。

 もう一人、私の担当する独居婦人が、救急車で運ばれた。連絡を受けた私は、女性の民生委員を伴って、病院に行った。医師に容体を聴く。容体によっては身内に連絡するが、私の資料に身内の記載がない。 医療費などの補助手続を代行し、退院の日と成った。

 退院の日は私の車で、ご婦人の住んでいたアパートまで送った。妻が当座十日分の米と野菜と味噌醤油を私に持たせてくれた。

 同行の女性民生委員が、流し台を整理し、冷蔵庫の中を整理した。

 当日一食分の食事を作った。

 私の退任後、独居婦人は役所の手続きで、ホームに移ったそうだ。

 ゴミ部屋整理に、駆り出された事もある。こんな事は珍しいことではない。

 この記事は、私個人の経験談だが、

 私の所属していた地域支部には、三十六名の民生児童委員が所属し、私のように専ら足で稼ぐ人と、各種資格や、経験を持った専門家が、規定の割合で在席する組織である。

 因って少年非行が発覚すると、○さんの指示を仰ぎ、幼児の虐待は□さん、学童の虐めは◇さんと、各々に同僚専門家の、指示を仰ぎ対応していた。

 私が要保護に対応できたのは、初期の初期の、事前の段階だから出来たことで、遅くなったら私には無理だった。この頃、役所に寄せられる情報は、見るに見かねた事後情報だから、対応が難しいのは当然だ。

 私は活動資料一切を焼却し、此まで努めた三期九年間の、民生委員の職務を終えた。

 この頃、虐めの話題が無日はない。

 死人に幾ら注射をしても生き返らない。

 此が今の状況だ。

 予防の道を断ったからだ!

 

018 


 我が家の金太郎飴

 私にも初恋は有る…、有るのではなくて、有ったのだ。だが殆ど忘れて仕舞った。

 人類は、他の哺乳動物と比べて、未熟児状態の出産で、養育は殊に手数が掛かり、母親だけでは対応が厳しい。因って此を補助するために、父親の参加が必要となる。

 この事は、生まれた児が自立して生き延びられる期間で、概ね牛馬は数ヶ月だが、象は数年とも謂われている。

 此は哺乳動物の本能で、人類なら五六年、父親は母親を補助して子を育てる。更に人類には、五六年間の養育の他に、更に継続して社会性に依る教育が必要である。

 生まれて五六年は本能なので、其の養育を放棄する親は少ないが、その後に続く社会性に依る教育は、どの親も等しく社会性を弁えて、教育するとは限らない。

 視点を換えよう!

 “人”の人たる所以は、「過去を考察し、未來を予測し、然る後に決断する」から、“人”であって、「過去を考察せず、未來を予測せず、目前の事象のみに反応して決断する生き方は、概ね鳥獣昆虫と異ならない。

 外見は“人”だが、本質は“鳥獣昆虫”類の者は、現代でも、決して皆無ではない。

 話題をもとに戻そう!

 五体満足なら、“人”でも“獣”でも、子供は容易く作れるので作るが、育てない母や父の話題は、時折新聞の片隅に載る。

 人の賢さは、過去を考察し未來を予測する能力の優劣に因るので、男でも女でも、賢い人は賢い異性を選び、普通の人は普通の異性を選び、そうでない者は、外見で選んだり、この頃は、電気信号で選ぶ場合も有る。

 ただ此は双方が冷静に観察した場合で、思春期の恋愛感情は、動物的本能が占める割合が多いので、結果として過去の考察、未来の予測が疎かに成る場合がある。

 配偶の要件は、賢愚だけではなく、相性と謂われる摩訶複雑な要件もある。

 結婚後の歳月は独身の歳月よりも、遥かに多いので、結婚後に如何様にも変わると謂う者も居るが、“人”の本質は、“金太郎飴”の如く、代代受け継がれ、箱や包装が変わっても、中味は殆ど変わらないのだ。

 結婚すると、メーカーの異なる金太郎飴が混ざり合って、新たな金太郎飴が産み出される。即ち生まれた子供達である。

 配偶者選びは、その結果が当事者だけではなく、代代引き継がれるので、一時の感情に流されて、負の連鎖に陥らぬように取り組むことが肝要である。

 盆や正月に親類縁者が集まると、再婚もあるが、皆さん何処となく似て居る。嫁さんまでも似ていて、不思議と言えば不思議だ!

 斯く謂う私の子供達は、妻にも、従姉妹にも、叔父さんにも、何処となく似ている。

 此が偶然と言えようか!

 

 

017


神様へのご報告

 私は毎年神様から、元旦に一年間の寿命を戴く。だが最初は元旦でなくて、お袋の腹から出た時で、十二ヶ月は戴いて居ない。末の息子は、大晦日生まれだから、一日しか戴いていない。細かに言えば数時間だ。

 お正月の客人は、「この子は、お幾つ?」と尋ねる。

 妻は「二歳です」と答える。

 客人は、???

 斯く言う息子も、今では四十八歳

 私は既に七十八回も神様から寿命を戴き、もうじき七十八回目の寿命も、あと二ヶ月余で使い果たして仕舞う。

 何時もの年は、自宅で紅白歌合戦を視て、除夜の鐘を聞き、戴いた寿命を大過なく使い切れたことに感謝する。

 往く年来る年の放送を聞いてから、妻と私と子供達と、家属全員が神棚仏壇の前で、新年のご挨拶をする。

 此が我が家の、習わしだったが、歳月を逐うて子供達は嫁ぎ、独立して家を離れた。今では夫婦二人丈で新年を迎え、各々一年間ずつの寿命を戴くのだ。

 だが今年は神社で戴いた。神道の信者を氏子と言う。「村社金ヶ作熊野神社」の氏子は沢山居るから、四年に一度、村社運営の当番が巡ってくる。我が家は、昨年の秋から今年の秋までが、当番であった。

 神道には、特定の人が創った教義は無く、其の基本は、天地の有形無形を問はず、感謝する民衆の心と、尊敬の念と、具象化された祭神と、其れを補佐し、民衆の仲立ちをする神職に依って構成されている。

 依って神社の氏子は、天地の有形無形を問はず、感謝と尊敬の心を持った民衆であるから、私と妻も祭神の一翼を為す一人だ。

 その年の当番氏子は、神社の管理運営を無報酬で行うのだ。

 依って掃き清められた庭も、補修された建造物も、総てが氏子達の労働奉仕や奉納寄付金によって、賄われている。唯一対価が支払われのは、神職と巫女さんの日当と、護符の仕入代金だけだ。

 さて本題に戻ろう。

 私達夫婦は、昨年秋から今年の秋まで、御祭神管理の仕事に従事した。

 施設の清掃補修は基よりのこと、年末年始には、護符の頒布や来客の接待も為した。

 元旦の寒風は老躯には辛い。参拝客の整理と接待。昼の十時頃になると参拝客が途絶えるので、私達当番の人達は、神職から新年の祈祷を受け、今年の寿命を戴いた。働いた後の満足感から、猶更に清々しい気分になる。

 昨年末は、祭神へのご奉仕が出来た満足感と、戴いた寿命を有効に使えた実感した。

 十二月は戴いた寿命の再検討と、神様へ報告する月で、明年も一年の寿命が戴けるようにと、祈念する月である。

 

016 


初雪

 初雪の朝

 初雪や二の字二の字の下駄の跡 初雪は、何もない處への第一歩で、怖いが好きだ。

 斯く謂う私も、歳を重ねると、“第一歩”の機会など、滅多にない。

 ジャネーの法則に依れば、「年齢が少ないほど主観的な時間が長く、年齢が多いほど主観的な時間は短い」と言われて居る。更に加えて、新たな経験とは、二度目では無いのだから、当然に歳を重ねるほどに、対象が少なく成らざるを得ない。

 エッセイは、今までに経験がないので、第一歩だが、俳句も川柳も漢詩詞も、既に第一歩ではないのだ。

 パラパラと消えて無くなるような雪は、私にとっての初雪ではない。初雪は、出来れば年が換わってから降って欲しい。

 下駄の跡が残る程の降雪が希望で、そうでないと、これから先の行間が埋めにくい。

 初雪と新年とは、私に執っては、大きな意義を秘める。

 私が謂う一年は、戴いた生命を数える、精神的な数え年齢で、骨肉の経過を数える、物理的な満年齢ではない。

 私は元旦に、“神様”より、一年間の生命を戴いた。昨年も、亦その前の年も、……。 お正月に戴いた三百六十五日の生命を、有効にして大過なく使い果たして、大晦日を迎えたのだ。惟は神様に対する義務でもある。

 「来年のことを言うと鬼が笑う!」と、言ように、明年があるとは限らないから、戴いた生命を有効に使おうと努力する。

 私は数年越しの物事は極力避けた。出来ればその年の中に、結果を見たい。

 だが銭金に関わりない物事は、相手の状況に合わせて、年を越し亦年を越した。

 其れでも、年末には其の成果を見たい。だから忘年会を遣る。賈島に倣って詩を祭る。

 其れでも、漢詩詞壇は三十年近く、学童の交通整理は十三年、民生児童委員は九年、よくも厭きずに続けたものだ。

 どれも銭金に関わりない物事で、損をする心配がないから続けられたのだ。でも全くの損ではない。自尊心だけは、過分に満たして呉れたから。

 妻子を賄うには、銭を稼がねば成らない。責任は重大だ!私の命が、明年あるとは限らないし、その次の年なら猶更だ。

 だから私は、出来るだけ、短期で結果の出せる仕事を選び、常に重複しながら、幾つかの仕事に携わった。惟なら仕事に浮き沈みがあっても、成果は平準化されるのだ。

 職業に依って、各々の社会と思想がある。実業家、学者、法律家、政治家、無法者、ホームレス、……。人の心は実に多様だった。

 今でも庭先の初雪を見ると、開業時の“二の字二の字の下駄の跡”を想起させ、若い頃の、無知で盛んな意気と、無謀さと破産の怖さが脳裏を過ぎる。

 

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015 


手袋

軍手

 子供の頃から、手袋にも靴下にもマスクにも、とてもお世話になっている。

 人として働くところは、手と足と口の三っだろう。手も足も酷使して傷み易いので、保護するために覆いを被せる。

 即ち、手袋や靴下である。口には何も被せないようだが、職種に因ってはマスクを付けたりもする。

 子供の頃の手袋は、親指と他は一緒の、二股手袋だった。時折愛用している旅館で貰う靴下も、二股靴下だ。

 私の児童期は敗戦後だから、まともな手袋も靴下も無かった。指先は霜焼けで、何時も赤く腫れて、五月頃にならないと霜焼けが治らなかった。

 青年期になって、漸く鹿皮の黒手袋が買えた。だが中に入れる指は、酷使に耐えた、骨太の逞しい指である。

 若い頃から、頭と手足の三者を使う事を、心掛けて居たが、頭は大きく成らずに、手指と足指は太く成ってしまったのだ。

 老齢になっても骨は細くならないから、昔の名残で今でも足の指も手の指も太い。

 手袋は指の損傷を保護してくれる。

 子供の手袋は、細い小さな指が傷つかないように保護してくれている。

 節刳れた指も、柔らかな鹿皮で、見栄えよく包んでくれ、皺皺の指も、綺麗な刺繍手袋で飾ってくれる。

 家庭で使う手袋も、食事から洗濯、庭の草取りからトイレ掃除まで、枚挙に暇がない。

 産業現場は、手袋無しでは成り立たない。

 だが手袋は、己が傷つくことを厭わず、目的のためには我が身を捨てて相手を護る。

 目的のためには、我が身も捨てるのは、手袋ばかりとは限らない。

 所謂社会の手袋だ!

 火事になっても人が死なないように、火事現場に駆けつけ、猛火に立ち向かう消防士。暴力沙汰で人が殺傷されないように、対応する警察官。

 侵略によって国家が滅亡しないように、戦場に駆けつけ、身を挺して応戦する自衛官。

 彼等は一時も欠かさず、私達の普段の生活を守ってくれている手袋である。

 他にも、私達の手袋に成ってくれている人は居る。幼稚園の保母さんであり、学校の教師で有り、医師や看護師、老人介護のヘルパーさんもそうだ。

 数え上げれば際限がない。

 私は、そう言う皆さんのお陰で、老躯を安穏に過ごして居られるのだ! 感謝感謝。

 だが世の中には、手袋の解れを捜して、中に入り込んで傷つけたり、糸の解れを引っ張って、手袋を壊して仕舞う者も居るのだ!

 私も若い頃は、軍手と軍足には、お世話になった。今日は久し振りの快晴だから、庭の草取りに使った軍手を綺麗に洗おう!

 

 

014 


こころ

家族の確執の一

 過去の実話や小説も、現代の小説や実話でも、親子兄弟の確執を描いた作品は多い。

 斯く言う私にも確執は有るし、就中私は十指に余る職業に携わって居たので、各階各層の生き様を、如実に見聞きしていた。

 而も五十歳代後半から、民生児童委員を拝命し、三期九年に亘り、職務上問題有る家庭の諸事情を具に知る立場となった。

 因って、家庭内の確執を、嫌と言うほど見聞きし、其れの解決に奔走した経験がある。

 “人”なら、誰にでも確執はあり、確執がないのは、此は惟で問題だ!。

 人間の習性として、比較と欲望と恐怖があり、比較は欲望を生み、欲望には喪失への恐怖が生まれ、三者循環の渦が出来る。

 他人となら、互に可不可を弁えて、殆どの“人”は、否応なく現実に対処して自己納得し、諍いを起こすことはない。

 然し家族の場合は、“甘え”の情が有るので、比較と欲望と恐怖に、甘えが加わり、四巴と成る。更に兄弟の場合は、年齢が近く親との立場が等しいので、相互に“妬み”の情を内在する。

 この状況は、場数を踏んでいる者なら、苦情を聞けば直ぐに察しが付くが、比較と欲望と恐怖と甘えと妬みの情の、縺れ合った状態を、平穏に鎮める事は、並大抵の智惠者でなければ、出来ない相談だ!

 私の場合は、民生児童委員拝命当時、現実に相当数の案件を抱えていたが、到底解決に導く事は出来なかった。

 現代に生きる人は、比較と欲望と恐怖の情は、強いか弱いか、多いか少ないかの別はあるが、殆ど誰でも持ち合わせて居て、此は惟で正常と謂える。

 而して、これらの情が有っても、平衡が保たれて居れば、諍いには成らないが、親子兄弟の場合には、比較欲望恐怖の他に、甘えと妬みの情が加わるので、状況は変わる。

 甘えは、平衡を納得しない欲望で、妬みは平衡を拒む比較を言い、諍いの要因となる。

 妬みは、親と子の場合や、歳の離れた兄弟姉妹の間では少ないが、家庭内でも、貧富の差が夥しい場合はその限りではない。

 家庭の諍いは、貧困家庭か裕福家庭かは、差ほど関係がなく、その多くは、子に対する親の扱いが、正鵠を得ていない場合が多い。

 当然、親が正鵠を意識しない場合は論外だが、正鵠を意識しても、子が不平等を感じる場合は多多ある。親は「親の心、子識らず」と、子は「子の心、親識らず」と言う。

 家族を取り巻く社会環境は、当事者を含めて、年年歳歳一様ではない。注意しても、均等に対応できるとは限らない。

 其れを回避するには、互に意思の疎通に務めることが肝要である。

柳に風とは、無為には逆らはぬ身の処し方で、枝はちゃんと堅固な幹に着いている。

 

 

013  


 紅葉

 散るものの哀れ

 街路樹には山桃や樫など、年間を通して青葉を纏う闊葉樹と、銀杏や欅など、冬の間は枯れ葉を落とす落葉樹が有る。

 闊葉樹の緑は、夏の日差しを和らげ、人の心に活力を与えてくれる。

 冬の寒い地域では、日差しを得るために、落葉樹が植えられる事が多く、木々は紅葉して人の目を愉しませてくれる。

 私も嘗て紅葉狩りと称して、紅葉を見に行ったが、同じ樹種でも附近の環境によって、雲泥の差が有る。

 例えば、空気の澄んだ環境の良い山間地の紅葉は、とても鮮やかだが、お世辞にも空気が澄んでいるとは謂えない、ビル街や道路端の葉は、紅葉と謂うよりは枯れ葉だ。

 環境と言えば空気ばかりではない。要件は雑多で、雨が多いか少ないか。其れは何時だったのか……。無論切り倒されたり、枯れたり、虫や病気に侵されたりもする。

 人生だって同じだ! 私は現在七十八歳、取り巻く環境も千差万別。隣家の親父と並べても、同じ處もあれば違う處も多い。

 苗床から出荷された幼木も、数年で枯れたり、徒長枝で植木屋を悩ませたりもする。

 仕事は人生の目的を達成する手段なのに、世の中には、手段と目的を逆さして、過労死する人もいる。

 つい最近、高校の同期会があった。高校生と謂えば、十八歳という可成り絞り込まれた条件なのに、同期生三百名の中、出席したのは僅か四十九名。

 幹事の話しに因れば、所在不明や死亡や病牀や……だそうだ。

 程ほど元気な四十九名も、既に配偶者を亡くしたり、事業に失敗したり……。細君と孫とが揃っているのは、それ程多くはない。

 出席した人達にも二通り有る。一つは青壮年期、程ほど順調で、老齢の今でも、程々な活動を為し、児や孫に看取られながら、人生を全うしようとする“人”だ。

 此は“夏蜜柑”に似ている。夏蜜柑は、新芽が成長しないと舊葉は落ちない。児の枝には児の果実が、親の枝には親の果実がある。此を“人”に擬えれば、老舗の主だ。

 もう一方は、青壮年期は程ほど順調だったが、遂に老境に到ると、最後に華々しく振る舞い、児や孫の成長に沿うこともなく、人生を全うする“人”である。

 此は丁度、新芽の発育を見ずに落ちる紅葉の如く、晩婚の人生にも似ている。

 紅葉は、散る者の哀れを連想させ、和歌の作品も多い。

 奥山にもみじ踏み分け鳴く鹿の声聞くときぞ秋は悲しき

 見る人もなくて散りぬるおく山の紅は夜の錦なりけり

 紅葉狩りの観光バスは、谷川の潺に沿った道を進む。乗客は歓声を上げる。

 

 

012


 高齢化社会之二

 嘗て鼠の大群が集団自殺を為したとの、記事を読んだことがある。又昆虫が異常発生することは、珍しい事ではない。

 此も何処かで、増殖と数量の遮断が為されて居るであろう事は、容易に想像が付く。その一隅に、人類も長い歳月を掛けて、徐々に其の数を増やした現実がある。

 此を鼠の大群と同列に扱いたくはないが、傍証として受け止めざるを得まい。

 ただ人類の増殖が、萬年単位と謂う極めて永い歳月に亘って、徐々に増殖したと謂う事実は、研究の材料にはなる。

 生物が地球上で生命を維持するには、地球の環境に適応出来なければならない。依って現在、地球上に棲息する生物は、地球の環境に適応しているからである。然し、長い間には、種を継承できずに、絶滅した生物も多多あると推論出来る。

 地球の誕生が四十六億年前、その四十六億年の間に、地球の環境は、急激に或いは緩やかに、常に変動し、止まることなく、現在も変動の途次である。

 諸説有るが、我々に繋がる人類の誕生を、百萬年前とすれば、此の間に人類は、ただ平穏に種を継承したとは考え難い。

 人類が棲息した百萬年の間には、外面的な要因として、幾多の環境変化が有ったであろう事は、想像に難くない。

 この地上に、人類が棲息して居る事は、それぞれの環境に、悉く順応した証で、今後の環境変化にも、能く此を回避し順応して、種の継承を成し遂げると確信している。

 次いで、人の「心」に起因する内面的な問題がある。人類が被捕食者で有った時期の感情は、「競争」と「満足」の、二つ丈だったが、食物連鎖の頂点に達した事に依り、人類の生活様態は、追われる立場から、追う立場へと、大きく様変わりした。

 これを契機に、今迄の競争と満足の他に、新たに「比較」と「貪欲」と「恐怖」の三っの感情が誕生した。

 この三感情は、相互に要因となって、「満足」の情には到達できず、際限のない膨張の渦となった。而も渦は、メビウスの帯に刷り込まれ、人類社会は互いに己の位置を確認できず、疑心暗鬼の錯乱状態になった。

 此の自己膨張を放置すれば、遂には人類が滅亡しない限り終熄はしない。

 斯くの如き状況が、過去百萬年の間に経験した事が有るのか、無いのか……。

 物事を解決するには、先ず現状を把握する事が基本である。即ち其の解決には、循環を断ち切り、満足の感情を復活させれば、人類は滅亡から逃れられる。

 だが其れには、比較と貪欲を抑制して、虚偽行為を慎めば、猜疑心は失せ、恐怖は霧散して、満足の感情が復活する。

 嗤い給え、老躯の白昼夢を。

 

 

011


 気儘な八月の散歩

 私は若い頃からずっと、頭と躯を両方使う生き方をしてきた。一時期、乳牛を扱う仕事をして居て、酪農家は感染症に罹患しないと謂われている通り、私は何時か忘れる程、滅多に風邪を惹かない。

 だが年齢による筋肉の衰えには抗し難く、子供や妻に、散歩を勧められていた。

 日中は暑いので、朝四時に起床し、顔を洗い髭を剃り、寝惚け眼を醒ましていると、家を出るのは四時十五分。

 家から駅まで行き、駅のエスカレーターにタッチし、次の駅まで歩き、その駅から自宅え帰る。駅から駅への一周り、一時間一萬歩の一周りを散歩コースとした。

 朝の四時十五分は、流石に早すぎる。目付きの変な若者が居た。奇声を発する変な中年が居た。

 其れならと、三〇分遅らせて、四時四十五分にした。今度は駅前のバス停脇で、若者が屯している。女の娘も居る。

 将にタクシーに乗り込もうとする、ホテル帰り……の外人女性もいる。

 此も宜しくないので、三十分遅らせて、五時十五分にした。三十分遅らせると、目付きの変な青年は居ないし、奇声を発する変な中年も居ない。駅前の少年少女も居ない。

 僅か一萬歩一時間の道程に、幾つかの世情を垣間見る。目付きの変な青年、奇声を発する中年、駅前に屯する少年少女。たった三十分の違いで、路傍の状況は劇的に変貌する。

 五時十五分から六時十五分の間には、出勤途中の草臥れた中年と、目が醒めない若者と出会う。新婚かな……と、勝手に想像する。

 散歩する人を見ていると、これ亦、私の脳味噌が勝手に想像と結論を導き出す。

 不機嫌な顔をした老人と出会う。偉そうな顔だが不機嫌だから、退職したら、みんな均等に成ったので面白くない。

 次に私より若いのに、脳溢血で倒れて、リハビリしている初老。すれ違う人が、偉いわねー、と言う。一つも偉くないよ! 倒れる前に食生活に注意すれば良いのに。

 お盆前なのに、狗にちゃんちゃんこを着せて、散歩しているご婦人。狗の虐待だ!

 道路脇の公園で、狗にウンチ。落とし物ですよ! 恐そうでないから声を掛けた。

 歩道脇の花壇。数日前まで雑多な草が生えていた。處がここ数日で、見栄えの良い草だけが残されて、あとは抜き取られた。

 通行人は、綺麗で良いわねえ! と謂う。

 見栄えは良くなったが、抜き取られた草はどうなったんだ。社会主義体制と同じだ。

 嘗て天皇陛下が御所を散歩為されて、「雑草という草は有りません」と、仰せに成られたと、耳にしたことがある。

 雑多なそれぞれが、それぞれ大切に扱われる事こそが、民主主義だ。

 散歩で、世界の縮図が見えたかも……。

 

 

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010


 高齢化社会之一

 飛ぶ鳥は、明日の糧を蓄えないが、刻々と迫り来る寿命に悔いなく、地に落ち速やかに息を引き取る。

 そして彼等は、捕食者の餌となり、他の生命を養い、循環して留まる事を知らない。

 山野に棲む獣は、餌と脂を蓄えて、生き延びる努力はするが、己の死は自覚し、時が到れば静かに死に臨む。

 人を除く許多の生物は、己の意思で肉体を保持し、行動が出来る状態を「生きるに値する生命」と納得していて、己の躰を養えぬのに、生命の継続に固執する如き、醜態は見せない。何と晴れやかな臨終ではないか……。

 因って彼等に「老いた鳥獣の群」は有り得ない。然し、人が食物連鎖の頂点に達し、身体が老いても、捕食の対象に成らなくなった時から、「老いた人の群」が出現し、此の群を「高齢化社会」と言う。

 地球に棲息する生物は自ずと、相対依存の因縁関係にある。然し斯く謂う私には、其の淵源を説くことは出来ないが、自ずと其れ等が釣り合うべき、「種」の構成はある。

 因って人類は、種の構成を保持する為に、自から個体数を減らす事と成る。

 その為に、疫病に依る斃死の他に、理性錯乱に依る殺戮が頻繁に行われ、自分で自分の命を絶つ事と成った。ただ此は、若い生命まで巻き添えにするので、捕食されるよりも、更に厳しい現実とも謂える。

 斯くして人は、自己崩壊或いは疾病で、生命が絶ても、地上に斃れれば、野鼠や昆虫の餌となり、食物連鎖の一員としての務めは果たせるが、この頃は焼却して、捕食者に一滴の血も与えないとは……。

 高齢化社会は、単なる表面的な事象に留まらない。其の根は、生命の淵源に到り、知性や理性を超え、人が開発した武器によって、遂には人類を滅ぼすかも知れない。

 ただ淵源を論じても解決には為らないが、何事にも発端があるので、此を回避すれば、殺戮が避けられるかも知れない。

 人類は言葉と文字の発明に依り、累乗的な冨を我が手中に収めた。だが満足する丈ではなく、新たに「比較」と「貪欲」と「恐怖」と謂う三つの感情が芽生え、比較は貪欲を、貪欲は喪失への恐怖を意識させた。

 そして遂に、「満足」を自覚出来ない、際限のない膨張循環の渦が誕生した。而も渦はメビウスの帯に刷り込まれ、社会は、互いに己の位置を確認できず、錯乱状態に有ると謂える。この循環を断ち切らない限り……、膨張の渦は際限なく続く。

 だが此では前途が余りにも暗すぎる。人には永い歳月を経て習得した、知性や理性か有るのだから、鳥や獣とは異なった対処法が、産み出される事を信ずる。

 人は何故、貪欲や嘘吐きに成ったのか?

 嗤い給え、老躯の白昼夢を……。

 

 

009


 

 時代劇の、食い詰め浪人の仕事は、傘張りが定番だ。

 今では、実用傘は市井に溢れていて、壊れると棄てられる消耗品だが、消耗品に成ったのは、ビニール傘が出回ってからで、それ以前は、折れた骨を修理したり、その材料も売られていた。

 子供の頃の我が家は、専ら番傘で、自分用の傘を持っていない子も多かったが、私には自分用の番傘があった。

 子供用の番傘は少し小振りで、柿渋の塗られた傘には大きく屋号が書かれていた。

 骨が折れたり紙が破れたりすると、父親が障子紙を貼り付け、柿渋を塗って修理してくれた。重くて体裁は悪かったが、親父が修理してくれた自慢の傘だった。

 中学にはいると、周囲は都会の子供達ばかりで、あの継ぎ接ぎだらけの番傘は見窄らしいので、親はコウモリ傘を買ってくれた。

 矢張り傘は壊れる。骨が折れると修理金具を買ってきて自分で修理した。布が裂けると母が繕ってくれた。

 当時の親は、物を与え銭を呉れるだけではなく、一本の傘でも親と子の絆は、とても深くて、濃いものがあった。

 雨傘は雨除けだが、傘は色々な意味で用いられ、守ってくれる物事を称して、「傘下」と謂う。

 家族は、両親の傘下にあり、社会は行政の傘下にある。企業労働者は、企業の傘下にあり、国民も企業も国家の傘下にある。

 雨が降れば雨に濡れる。家庭にあっては親の傘下にあるので、虐められる事もなく、一歩家を出れば、行政が我が身を守ってくれるので、無闇に殺されることもない。

 水滴の雨は此方の都合に関わりなく、雲の都合で雨が降り、賊は此方の都合に関わりなく、賊の都合で刃物を振り回す。

 戦争は、侵略国の都合で弾丸の雨を降らせるので、より強固な傘が必要となる。

 侵略国の都合だから、平和を称えれば、侵略されないという、寝惚けた物事ではない。

 自国で賄い切れなければ、相互補完で対応する。即ち軍事同盟であり、核の傘もある。

 甚だ物騒に成って仕舞ったが、現実だから仕方があるまい。

 もっと柔らかい話しに切り替えよう。

 艶歌の世界で、相合い傘と唄われる。とても美談だが、此が亦哀れな結末……。

 相合い傘に憧れも有った。相合傘の気分を味わいたいと思うと、胸の中が見透かされ、用意の傘を差し出され、はいどうぞ……。

 親切ぼかしに傘を差し出され、うっかり気を許すと詐欺に巻き込まれ、籠絡される。

 子供の頃のあの傘、何度も修理に修理を重ねたあのボロ傘でも、両親の愛情が籠もった自分の傘が懐かしい。

 自分の傘は、自分で用意するのが鉄則だ。

 

 

008


 言葉の綾

 言葉はその使い方に因って、随分と用途も性格も多様で、言葉の綾と聞くと、私は何時も愉快なことを思い出す。

 私の兄は販売業を営んでいて、時々資金繰りが乏しくなって、支払を延ばす。

 私の知人に、兄の店に資材を納めている仲卸の塩崎さんが居て、私は塩崎さんから、「集金が滞っているので、兄ちゃんに謂ってくれないかなあ……」と頼まれた。

 塩崎さんの奥さんの“綾子さん”は、兄の幼馴染みである。

 其処で私は、咄嗟に其れなら好い手があるぞ! と閃いた。

 酒を飲んだとき、兄は「綾ちゃんは好い女だなあ……」と謂ったのを覚えていた。

 塩崎さんには申し訳ないが、私の感覚からして、綾子さんは、余り器量好しではない。

 若い頃は器量好しだったのかなあ??。

 私は日を措いて塩崎さんに、「集金は奥さんに行って貰いなよ」と謂った。

 その後、塩崎さんの家を訪ねたら、彼は満面の笑みで、「兄さんを説得して呉れて、どうも有り難う」と謂った。

 どおって事は無い。兄貴の鼻の下が長く成っただけなのに……。

 塩崎さんは、自分の妻がどう思われていたかを、全く気付いていない。兄の嫁さんは、「塩崎商事の奥さんが集金に来ると、お父さんは妙に気前が良いのよ」と謂った。

 大分横道に逸れたが、綾とは縦糸と横糸の工夫で、趣きに富んだ布を織ることを謂う。因って言葉の綾とは、布の綾の趣に擬えた言葉で、直喩ではなく比喩に該当する。

 扨、何処に用いられて居るかと謂えば、先ず俳句は比喩の宝庫と謂えよう。

 「雀の子そこのけそこのけお馬が通る」や「古池や蛙飛び込む水の音」は、誰でも識っている有名な句だが、文字通りに読んで、解釈しても、何の意味もないに等しい。

 私は俳句の専家ではないから、説明できないが、此を比喩として読むならば、内容は深遠だろうと、素人でも想像が付く。

 短歌にも比喩は多い。何故に比喩を用いるかと謂えば、俳句も短歌も、用いる文字数は極端に少ない。此を補完する手段として、文字数よりも内容を多く収容できる比喩を用いる事は、当然の趨勢である。

 漢民族詩歌の漢詩詞は、文字数に制限はないが、漢詩詞の本質上、必然的に比喩が詩法の一隅として存在する。

 漢詩詞は思想の陳述で、現代でも詩詞壇は行政府の傘下に有り、詩詞を創ることは、政敵や論敵に晒される事になる。

 因って政敵や論敵から逃れる手段として、表裏二面性を具備する必要があり、為に比とと興の詩法が多用される。

 幼馴染みを登場させて、鼻の下を長くさせる手法は、言葉の綾に通じるだろう。

 

 

007 


 夢と希望

 日本人は「夢を持ちましょう」と謂う。 「夢を持ち続けましよう」とも謂う。

 扨、夢とは〈就寝中の幻覚〉を謂い、昼間の幻覚は〈白日夢〉と謂う。

 夢は、夢幻と謂って、実体のない物事を指すのだから、真顔で白日夢状態を継続させることには、些か難がありそうだ。

 いや、真顔で夢が継続できたら、最早常人ではあるまい。

 こんな屁理屈を言っても、実のところ、社会では夢も希望も同義で、夢と希望を区別して使っては居ないようだ。

 でも、矢張り其処には区別があった!

 私も少年の頃は、夢と希望を同義に使っていて、沢山の夢も希望も持っていたが、何時の間にか霧散していた。

 青年から壮年期に掛けては、夢は漠然としていても持ち続けられたが、希望は現実と照合しなければ、持ち続けられないと知った。

 私自身の生き様を、樹木に喩えよう。

 あれ程青青としていた夢も希望も、壮年期を過ぎると徐々に色褪せ、秋色が忍び寄る。

 孔子の言葉に、〈子曰,吾五十而志于學。三十而立。四十而不惑。五十而知天命。六十而耳順。七十而従心所欲,不踰矩。〉と、人生の経過が語られている。

 私は三十歳の頃に中国文学に触れ、夢と希望は、各々異なった字義で有ると知った。私はこれを契機に、夢は目に見えない物事、希望は目に見える物事と、私的に字義を使い分けた。 注;漢詩詞では、虚と實と謂う。

 六十歳に到ると、先ず青青としていた希望の葉も、歳月を重ねると共に、可不可の判別が付いて、順次、而も静かに落ち始める。

 其れでも、業績を残して去れば、其れなりに後塵を飾れるが、霜枯れして落ちると、我ながら身を詰まされる。

 希望を成就するには、自ずと相手があり、内には妻子が、外には近隣がある。此だけでも成就の道程は嶮のに、社会情勢は己の努力と辛抱だけではどうにも成らない。

 然し、私が定義する夢は、色褪せては来たが、其れが却って趣を添え、秋風も者とせず、しっかりと枝に付いて離れない。

 その頃の葉は、最早枝からの養分を必要とせず、長きに亘って蓄えた豊富な色素によって、見事な紅葉を創りだし、一生を終える。

 この歳になって、漸く私的に定義した夢と希望の違いが解ってきた。

 夢は、己の努力でもどうにか成る。下手も上手も自分に執って他に代え難い経験という心の成果だ。自己の経験という資産は、自分にしか価値はないが、他の者には代え難い人生で最も大きな資産と謂える。

 夢は己自身の心の中にあるから、何時になっても消え失せることはない。

 子供の頃から持ち続けた夢が、私にとって最も大きな成果で有った。

 

 

006 


 やり過ごす

 初老の爺さん。若者に人生を語ると、さも自分が実行してきたかのように、「一日は再び晨なり難し。時に及んで當に勉励すべし,歳月は人を待た不」の句を持ち出す。

 いま謂われなくて、小さいときから親父に、チクリチクリと謂われて来たんだから!

 俺にも分かっているが、思うに任せないんだ……。俺の頭の中には、励もう! と、怠けよう! と、同居していて、何時も微妙な釣合だけど、毎年暮れになると、励もうが頭を擡げ、七草までは励もうの独壇場だ!

 何故かというと、七草までは気概だけで済むが、七草過ぎると、実行しないとダメだから、励もう! は七草までで、七草を過ぎたら、暫く態を潜めていた、“怠けよう”にバトンタッチです。

 その後は、励もうと怠けようが、入れ替わり立ち替わり、例年の如く年末から七草までは、励もうの独壇場です。でも怠けより、励もうの方が少し多いから、世間並みに世渡りが出来ているのです。

 人生には、良いも悪いも、絶え間なくチャンスが巡ってきます。

 世の中の成功と失敗を拾い出すと、成功ばかりの人も居ないし、失敗ばかりの人も居ません。人それぞれの分に応じて、成功もあれば失敗もあるのです。

 成功した人も、失敗した人も、基を手繰れば簡単な事で、失敗の数を減らせば、成功が多くなるのです。ただ其れだけのことです。

 頑張る人は気概も大きく、反面有頂天に成り易いので、自分から注意しないと、能力を過剰評価したり、能力以上の物事に関わったりします。心に余裕が無いと、決断を急ぎ、碌でもない物事を掴む事があります。

 余り頑張らない人は、自分の能力を、それ程に評価していないし、心が遊んでいて余裕があるから、決断を急がないし、少し怠け心が有るから、手を出さない事が多いのです。

 石橋を叩いてばかりいると、良いか悪いか判らない事案が通り過ぎて逝きます。

 幸運を掴もうとする人からは、チャンスを逃すと謂われますが、不運を掴むまいと、注意している人から見れば、遣り過ごした! と謂えるのです。

 人生では、この遣り過ごす! が出来ないで、不運を掴む人が多いのです。

 多くの指導者曰く、希望は最後まで持ち続けろ、きっと成し遂げられる! と謂いますが、人にはそれぞれ分相応な能力の限界があって、誰でも頑張れば大実業家や、オリンピックに出られる訳ではないのです。

 此はどんな生き方にも当て嵌まることで、其の得手不得手を早く見極め、方向転換することが肝要です。

 励んでばかりではダメで、怠ける方も人生には有効な手段なのです。

 勿論、気持ちの怠けは論外です。

 

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005 


 伝言ではない手紙

 この頃、私の周囲でも、手紙を書かなくなった。意思伝達の手段として、専らアナログとデジタルの電気信号だ。

 電気信号には、電気の強弱を利用するアナログと、断続を利用するデジタルとがあり、アナログ信号なら、少しは肉声に依拠する処も有るが、デジタルは、零と一の組み合わせで、肉声の入り込む余地はない。

 昨今、この電気の断続信号だけで、結婚したり、身を委ねたりする者が居るのは、老躯には、度肝を抜くほど驚きだ。

 私の処には毎日郵便物が寄せられるが、その殆どは、用件を伝える紙面だけである。

 敢えて謂うなら、私は情を伝える紙面を、手紙と言いたい。だから私にしてみれば、電子メールは手紙の範疇には入らない。

 メールは、どんなことが書いてあっても、其れは情報伝達の手段に過ぎないのだ。

 私にとっての手紙は、目でペンの跡を追いかけ、手で紙面の感触を愉しむのだ。

 だから、趣味の良い、便箋やハガキが届くと、何となく嬉しい。

 そして手紙には、寄せた人の人柄が、如実に写し出され、文面の巧拙も有るが、其れよりも寄せた人の心遣いが重要だ。

 出先で、好趣な便箋やハガキを見ると、もう手紙を寄せる人が居ないのに、つい買って仕舞う。若い頃、綺麗な字が書きたいと、ペン習字のテキストをなぞり書きして学び、屡々手紙を寄せ、返信を心待ちにした。

 愉しい手紙の遣り取りには、物事の捉え方と、文体の違いがある。其れは、其処に相手の人となりが読み取れるからだ。

 長く続くのは詩歌を嗜む人で、俳句好きな人の手紙は、観念的か、或いは写実である。私がいま一歩の考察が出来ずに居ると、無理矢理、私論を押し付けられたりもするが、其れは其れで愉しい。

 その点、短歌を好む人の手紙は、写実であるように見えて、実は観念的で有ったり、読む側としては、内容を探りきれない。

 更に知りたいと思うから応酬は続き、長年中國詩家との応酬もしていたが、政権が換わったので、やむなく止めた。

 周辺の話題に依拠する手紙は、話題が底を突いて種切れに成り易く、長続きはしない。

 何れにしても、相手への興趣が湧かなければ、数通で沙汰止みになる。

 だが最も大きな理由は、如何に文章と文字に力を注ぎ、好趣味な便箋を揃えても、差し出す相手が居なくてはどうにも成らない。

 ワープロ馬鹿と謂うけれど、十日程ワープロに頼ると、漢字を忘れると言う。

 私もワープロに頼ることが多くなった。あれこれ謂ったけど、老齢に到るとは、こういう事だ!

 妻子から欠かさず、手紙と電話が来る転勤者が言った。矢っ張り逢わないとダメだよ!

 

 

004 


 櫻樹の悲しみ

 人間は私を題材にして、あれこれと喜怒哀楽を述べるが、其れはあくまで人間の自分勝手な言い分だ!

 私だって、大昔は今のように、人間に虐められる存在では無かったそうだ。此の虐待の端緒は、私の先祖が為した幾つかの行為が、今日の不幸の源だった。

 随分と古い話だが、聞く処に依ると、私の先祖は、陸地と陸地が押し合って盛り上がったところ、ヒマラヤ山脈の麓だそうだ。

 仲間には梅や李なども居て、人間が付けた分類ではバラ科に属し、先祖は、基より人間に便宜を与えようとは、微塵も思っていなかった。然し子孫を残すには、昆虫に交配を手伝って貰わねば成らないのである。

 だから、昆虫に喜んで来て貰う為に、綺麗な花や、甘い蜜や、美味しい実を実らせたりしたのだ。だが昆虫を喜ばせる努力が、却って仇となり、人間を引き寄せてしまった。

 人間は、偶々原野で、昆虫の為の綺麗な花を見付けて、自分好みの花を咲かせようと、勝手に私の躰を改変して、仕舞う始末。

 此から私の、苦難の歳月が始まった!

 私は、先祖の代から住み慣れた原野で、人間に因って無理矢理掘り出され、何処にも仲間のいない独りぼっちの生活が始まった。

 私の周囲には、幼馴染みの樹樹も、私を慕って遊びに来てくれた昆虫も居なくなった。

 春には花を咲かせ、昆虫の助けを借りて受粉し、実を育み、小鳥は私の子を何処か遠くへ運んで、糞で包んで地上に蒔いてくれる。

 私は人間に掘り出された時から、受粉による生殖の道も断たれ、躰は切り刻まれ、苗床に挿され、無理矢理根を生やされ、株立ちさせられた。

 其の幼い株は、私が産んだ株ではない。私の躰から、無理矢理剪り取った躰の一部だ。

此も酷いが、もっと酷いこともする。

 人間は、綺麗な花を咲かせる枝を見付けると、容赦なく枝を剪り取って、他の樹の皮を削ぎ、無理矢理其処に差し込んでしまう。

 剪られた枝は、枯れたくないので、懸命に努力して、差し込まれた皮に馴染み、生き延びようとする。人間はこの行為を接ぎ木と称して、独断と偏見で容赦なく行う。

 この様な人間の暴虐無人な振る舞いで、私の類型は、世界中に居るが、其れは取りも直さず、終わることのない苦難の途次である。

 花見が愉しいからと称して、人間は土手や道路際に私を植える。

 枝が気にくわないからと謂って、生身の私を容赦なく伐る。花見と称して私の足許を容赦なく踏みつける。

 昆虫が居るからと謂って、農薬を容赦なく浴びせ掛ける。

 病に罹り、人間の要望に応えられなくなると、切り倒され、焼き殺される。

 故郷のヒマラヤの裾に戻りたい!

 

 

003 


 因縁と時の損得

 日々の生活で、或いは月月の周辺で、或いは年年の社会で、或いは一生で、自分の力だけではどうにも成らぬ事がある。

 此を一括りに謂えば、自分を取り巻く、時の趨勢と謂うのだろう。

 時代英雄を生むか、英雄時代を生むか? と謂うが、現実に照らして、或いは自己に擬えても、どちらとも謂えぬだろう。

 昭和の六十年代、時の趨勢が解っているなら、全員が大儲けと成る筈だが、巧く切り抜けた人はそれ程には多くない。

 その後デジタル時代が到来した。社会の要請に応えて、巧く対応して大儲けをした人は居るが、その数はそれに程多くはない。

 昔から、歴史は繰り返し、月満ちれば必ず欠ける! と謂われているが、その場になると活用できない。

 私の場合は、欲の皮が突っ張っり過ぎて、目が眩み、辺りが見えなくなるのだ! 

 時の趨勢を知るには、先ず自分は此の世界の、何処に居るかを知る必要がある。

 先ず万物には、時を同じくした横の繋がりがある。例えば兄弟と親類縁者や同僚など……、もっと広く謂えば、世界中に存在するあらゆる動植物総てが其の範疇に入る。

 もう一つの位置として、時を異にした縦の繋がりがある。父や祖父、百年前、千年前、一万年前……、生命発生の時まで遡る。

 因って元を辿れば、この世のあらゆる生物は、総て互に幾許かの繋がりを持ち、影響し合い、釣り合いを保ちながら、この世に生存しているとも謂える。

 少し視覚として擬えれば、漁師の網が縦に干してある状態に似ている。

 網の上の方は古い時代で、網の下の方は時代が下がり、最下端は即ち現在だ! 

 網の巾は、時を同じくする生物の、生存分布の状況に匹敵しよう

 網の上の方は既に乾いているが、下に到るに従って生乾きで、最下端、即ち現在に相当する場所は、上からの汚れ物で、何時も湿っている。

 この状況は、過去の遺物が現代にも到り、未だ汚れの原因となっている事を、如実に物語っている。

 この様な状態を、もっと的確な言葉として、仏教では「因縁」と謂うそうだ。

 さて万物は因縁によって互に作用し会う事は解ったが、何も細かなことまで、知る必要もあるまい。

 何事も、お互いに関わり合う事を、知るだけで充分だ。凡夫でも全体を眺めれば、大まかなことは解る。

 世の中の変わり目に、大まかなことが解れば、大損から免れたり、良い處取りが出来るかも知れない。

 理屈はそうだが、中々思うようには行かない。欲深になるから、福が逃げ出す。

 

 

002 


 珈琲

 私は嘗て、珈琲と云う題材で二首の漢詩を詠んだ。一首は長江下りの船上で、もう一首は旧知のご婦人と、茶店の席で……。    中華大陸の民衆は、綿綿と詩経の時代から現代に至るまで、自己主張手段の一つとして詩を詠んで居る。其れは取りも直さず、中國での詩人は、思想家で有ると謂える。

 中華大陸の歴史上、詩歌は民衆の心情を具に写し、政局と詩歌の関わりは頗る多い。行政府が民衆の心情を知るには、民衆の詩歌を知ることが的確な手段である。

 その証拠に、日本社会では、短歌或いは俳壇の創設に行政府の許可は不要だが、中國で詩詞壇を創設するには、例え外国人であっても行政府の許可が必要である

 漢詩詞には膨大な詩詞法があり、知っていれば真意が読め、知らなければ文字面だけしか読めないと云う、隠喩の一面があるので、日本人が著した漢詩詞解説書の殆どは、景物描写が多いのはその為である。

 当該二作品も、漢民族と同等の詩法で作られ、作品は文字面と真意とは異なるので、各自が各々に読んで欲しい。

 

  長江勝游     中山逍雀

指呼雲上一仙標,桟径羊腸遠市囂。

五尺情根傷宿世,単床黎暁意無聊。

千里羇泊忘塵累,半夜軽煙気寂寥。

邃澗奇峰天下勝,珈琲香味爽快朝。

【日語】

 指呼す雲上、一仙の標を,桟径は羊腸に市囂は遠し。

 五尺の情根、宿世を傷み,単床の黎暁、意は無聊たり。

 千里の羇泊、塵累を忘れ,半夜の軽煙、気は寂寥たり。

 邃澗の奇峰は天下の勝にして,珈琲の香味は爽快なる朝に。

 

  躑躅花邉相遇之圖 中山逍雀

禅林後園老鶯鳴,角落籬邉新樹平。

茅店啜茶相擁坐,徒聞窗外野禽聲。

目前含笑却思烈,忽覚胸中昔年情。

萬朶鵑花紅影亂,老株六尺兩枝瓊。

【日語】

 禅林の後園に老鶯は鳴き,角落籬邉に新樹平かなり。

 茅店で茶を啜り相い擁して坐し,徒だ聞く窗外野禽の聲を。

 目前笑を含み却って思いは烈しく,忽ち覚ゆ胸中昔年の情を。

 萬朶の鵑花、紅影は亂れ,老株六尺、兩枝は瓊たり。

 私は凡夫だから、大したことは謂っていないので、文字面通りに読んでも、其れなりに読める。

 目前含笑却思烈,忽覚胸中昔年情。この句は、我ながら気に入っている。

 

 

001 


 

 風を述べた句に、五風十雨潤桑田と云う詩句がある。余計なことだが、漢語には“畑”と云う文字がないので、田とは区劃された耕地を云い、日本語なら桑畑を指す。

 この句では、恐らく初夏の風であろうが、春風が吹くと、虫も木の芽も草の芽も、彼方此方から顔を出し、花が咲き、生命の息吹が感じられ、心も何となく華やぐ。

 だがその一面、春は冬と夏に鋏まれ、季節が、入れ替わる経過期で、昨日は暖風、今日は寒風と、暖風と寒風が綯い交である。

 因って朝朝暮暮変動する春の気候に、老躯には順応が厳しく、命を縮める事態にも成りかねない。だから春には、町会の掲示板に、黒枠の案内がいつもより多い。

 晩春と言おうか初夏と云おうか、毎年のように黄色い風が吹いてくる。戦前はこんなにも花粉症が騒がれなかったのに、何故? 

 ある人曰く、民衆の生活様態が、花粉症の原因だ! とも云う。

 私には、そんな難しい事は解らない。ただ現在の方が戦前よりも、杉や檜の数が増えた事は確かだ。

 大東亜戦争中、日本中の森林から樹木が伐採され、あっちもこっちも禿げ山になった。

 敗戦後の日本は、泣きっ面に蜂で、毎年のように河川が氾濫し、大洪水に成った。

 川が細くなった訳でも、土手が低くなった訳でも、雨の量が増えた訳でもない。

 ただ昔と違ったのは、山を丸坊主にしたので、山に保水力が無くなったのだ! 其れなら木を植えよう! と、国策で植樹した。

 元もと営業林でない山林には、種々雑多な樹木が生えていたが、国策での植林は、売却可能な松杉檜などの樹種を植え、税金の無駄遣いとの指摘を逃れた。

 松杉檜などは、相応の欠点はあるが、樹木の生長と共に保水力は恢復した。

 ただ松杉檜には、山に住む獣の餌となる程の果実が実らない。因って獣の数は減り、獣は人里近くに餌を求めて出て来る。

 もう一点、大量に植えられた杉と檜は、花を咲かせ花粉を放出する。幹数が多いので、花粉の量も多い。

 若い頃、花粉を温泉と勘違いした愚かな経験が有る。車窓から遥か彼方に、黄色い煙が立昇るのを見て直感した。温泉の煙だ!

 新規な温泉源発見と思い込み、翌る日から四駆に乗り換えて、具に数日探索した。黄色い煙が充満している処は発見したが、お湯の出ているところには辿り着けない。

 妻にその話をしたら、お父さん! 其れは杉花粉が一杯出ている処だよ! これで私の儲け話は風の如くに吹き飛んだ。

 夏は暑苦しいから風が欲しいのに、風が吹かない。秋風は物寂しいが気持ちが良い。冬の風は寒くて、骨の髄まで滲みる。

 冬の厳しさがあるから、春風は嬉しい。

 

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